夕立
永井荷風
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)白魚
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)富士|筑波
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1-91-24]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)しん/\
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白魚、都鳥、火事、喧嘩、さては富士|筑波の眺めとともに夕立もまた東都名物の一つなり。
浮世絵に夕立を描けるもの甚多し。いずれも市井の特色を描出して興趣|津々たるが中に鍬形※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1-91-24]斎が祭礼の図に、若衆大勢夕立にあいて花車を路頭に捨て見物の男女もろともに狼狽疾走するさまを描きたるもの、余の見し驟雨の図中その冠たるものなり。これに亜ぐものは国芳が御厩川岸雨中の景なるべし。
狂言|稗史の作者しばしば男女奇縁を結ぶの仲立に夕立を降らしむ。清元浄瑠璃の文句にまた一しきり降る雨に仲を結ぶの神鳴や互にいだき大川の深き契ぞかわしけるとは、その名も夕立と皆人の知るところ。常磐津浄瑠璃に二代目治助が作とやら鉢の木を夕立の雨やどりにもじりたるものありと知れど未その曲をきく折なきを憾みとせり。
一歳浅草|代地河岸に仮住居せし頃の事なり。築地より電車に乗り茅場町へ来かかる折から赫々たる炎天俄にかきくもるよと見る間もなく夕立襲い来りぬ。人形町を過ぎやがて両国に来れば大川の面は望湖楼下にあらねど水天の如し。いつもの日和下駄覆きしかど傘持たねば歩みて柳橋渡行かんすべもなきまま電車の中に腰をかけての雨宿り。浅草橋も後になし須田町に来掛る程に雷光|凄じく街上に閃きて雷鳴止まず雨には風も加りて乾坤いよいよ暗澹たりしが九段を上り半蔵門に至るに及んで空初めて晴る。虹中天に懸り宮溝の垂楊油よりも碧し。住み憂き土地にはあれどわれ時折東京をよしと思うは偶然かかる佳景に接する事あるがためなり。
巴里にては夏のさかりに夕立なし。晩春五月の頃麗都の児女豪奢を競ってロンシャンの賽馬に赴く時、驟雨|濺来って紅囲粉陣更に一段の雑沓を来すさま、巧にゾラが小説ナナの篇中に写し出されたりと記憶す。
紐育にては稀に夕立ふることあり。盛夏の一夕われハドソン河上の緑蔭を歩みし時驟雨を渡頭の船に避けしことあり。
漢土には白雨を詠じたる詩にして人口に膾炙するもの東坡が望湖楼酔書を始め唐韓※[#「にんべん+屋」、第4水準2-1-66]が夏夜雨、清呉錫麒が澄懐園消夏襍詩なぞその類尠からず。彼我風土の光景互に相似たるを知るに足る。
わが断腸亭|奴僕次第に去り園丁来る事また稀なれば、庭樹|徒に繁茂して軒を蔽い苔は階を埋め草は墻を没す。年々|鳥雀昆虫の多くなり行くこと気味わるきばかりなり。夕立おそい来る時窓によって眺むれば、日頃は人をも恐れぬ小禽の樹間に逃惑うさまいと興あり。巣立して間もなき子雀蝉とともに家の中に迷入ること珍らしからず。是れ無聊を慰むる一快事たり。
底本:「日本の名随筆18 夏」作品社
1984(昭和59)年4月25日第1刷発行
1999(平成11)年11月20日第20刷発行
底本の親本:「荷風全集 第一四巻」岩波書店
1963(昭和38)年6月発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年12月4日作成
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