高村光太郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)踟※[#「足へん+厨」、第3
〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔“RAISON D'E^TRE”〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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人は案外下らぬところで行き悩むものである。
いわゆる日本画家は日本画という名にあてられて行き悩んでいる。いわゆる西洋画家は油絵具を背負いこんで行き悩んでいる。飛車よりも歩を可愛がるような羽目に自然と立ち至る事もあるのである。その MOTIV(モチフ)を考えるとおかしくはあるが、行き悩んでいる当面の事局を眼鏡の焦点に置いて考えると、かなり惨酷なものに見えないでもない。無意味な混雑と危険な SONDE(測定)の乱用とは、こんな時にすべての芸術家に課せられる重い通行税である。この意味において、今の日本の芸術家ほどその作品に高価な無益の印紙を貼っているものはない。いたものもない。この重税に反抗して芸術界の ANARCHISMUS(アナーキズム)が起らないとも限るまい。が、そういう所から起って来る ANARCHISMUS は反動的のものである。ANARCHIST の ANARCHISMUS ではないのである。
僕は芸術界の絶対の
絶対の
僕は生れて日本人である。魚が水を出て生活の出来ない如く、自分では黙って居ても、僕の居る所には日本人が居る事になるのである。と同時に、魚が水に濡れているのを意識していない如く、僕は日本人だという事を自分で意識していない時がある。時があるどころではない。意識しない時の方が多い位である。人事との交渉の時によく僕は日本人だと思う。自然に向った時には、僕はあまりその考えが出て来ない。つまり、そう思う時は僕の縄張りを思う時である。自我を対象のものの中に投入している時にはこんな考えの起って来よう筈がない。
僕の製作時の心理状態は、従って、一箇の人間があるのみである。日本などという考えは更に無い。自分の思うまま見たまま、感じたままを構わずに
地方色の価値をかなりに尊重している人は今の画界になかなか多い事である。日本の油絵具の運命というものは、この日本の地方色との妥協の如何によって定まるものと考えている人もあるようである。日本の自然にある犯すべからざる定まった色彩が固有していて、それに牴触しては忽ちその作品の〔“RAISON D'E^TRE”〕(存在理由)がなくなってしまうと考える所から、自分の胸にある燃えるような色彩も、夢のような TON(調子)も抑えつけようとして踟※[#「足へん+厨」、第3
人が「緑色の太陽」を画いても僕はこれを非なりと言わないつもりである。僕にもそう見える事があるかも知れないからである。「緑色の太陽」があるばかりでその絵画の全価値を見ないで過す事はできない。絵画としての優劣は太陽の緑色と紅蓮との差別に関係はないのである。この場合にも、前に言った通り、緑色の太陽としてその作の情調を味いたい。僕はいかにも日本の仏らしい藤原時代の仏像と外国趣味の許多に加わっている天平時代の仏像とを比較して、“LOCAL COLOUR”の意味から前者を取る事はしないのである。DAS LEBEN(生命)の量によって上下したいのである。緑色の太陽を画いた作家の PERSOENLICHKEIT に絶対の権威をもたしめたいと考えている。日本の自然を薄墨色の情調と見るのが、今日の人の定型であるらしい。すべて曇天の情調をもって律しようとしているようである。春草氏の「落葉」がその一面を代表している。黒田清輝氏の如きも、自らは、力めて日本化(?)しようと努力して居らるるらしい。そして、世人はその日本化の未だ醇ならざるをうらんで居る形である。地方色を最も重んずる人に柏亭君が居る。同君のこの趣味は、地方色を重んぜよという理論の側よりも、むしろ氏の
僕といえども作品の鑑賞の側から、帰納的に地方色というものの存在を認めている事は確かである。日本人の作品には自ら日本の地方色とも見るべきものがある。仏国人の作、英国人の作、皆然りである。しかし、これは地方色の存在を認めるのであって、その価値を認めるのではない。附随物として認めるのであって鑑賞の対象物とは認めないのである。石炭ガスを造ると、
この点から、僕は日本の作家があらゆる MOEGLICH(可能)な技巧を遠慮会釈なく用いん事を希望している。その時の内面の要求に従って必ずしも非日本的を恐れない事を祈るのである。いくら非日本的でも、日本人が作れば日本的でないわけには行かないのである。GAUGUIN(ゴーガン)は TAHITI(タヒチ)へまで行って非フランス的な色彩を残したが、彼の作は考えて見ると、TAHITI 式ではなくして矢張りパリっ子式である。WHISTLER(ホイスラー)はフランスに暮してある時はまた日本に対する NOSTALGIE(ノスタルジー)を恣にしたが、これも争われない ANGEL-SAECHSISCH(アングロサクソン風)である。あの TURNER(ターナー)はロンドンの市街をイタリヤの色彩で画いていたが、今思えば彼のイタリヤの自然を写した色彩はやはり英国式であった。MONET(モネ)はフランスの地方色を出そうと力めたのではない。自然を写そうとしたのである。勿論、世間からフランスの色彩とは認められなかったのである。フランスの色彩と認められないどころか、自然の色彩とも認められなかったのである。空色の樹の葉を画いたといっては罵られていたのである。しかるに、今日見れば矢張り外の国の人には画けないフランスの香いがする。これ等はすべて、魚に水の香のするようなものである。力めて得たのでなくして、おのずから附帯して来たのである。これを力めて得ようとすると芸術の堕落が芽をふいて来る。
僕は朱塗の玉垣を美しむと共に、仁丹の広告電燈にも恍惚とする事がある。これは僕の頭の中に製作熱の沸いている時の事である。製作熱の無い時には今の都会の乱雑さが癇に触ってならないのである。僕の心の中には常にこの両様の虫が喰い込んでいる。これと同じように、僕はいわゆる日本趣味を尊ぶと同時に、非日本趣味にも心を奪われること甚だしい。またこれと同じように、日本の地方色というものをやや世間の人と人並に見てはいながら、心の叫びはその地方色の価値を零にしてしまうのである。従って西洋じみたものを見ても、西洋じみたという事については些少も反感を持たないのである。「緑色の太陽」を見ても気を悪くしないのである。
僕は混雑した感想を混雑したままに書いてしまった。僕が見ては下らぬ事に考えられて、世間ではかなりに重大視されているいわゆる地方色の事を一言したかったのに過ぎない。僕は日本の芸術家が、日本を見ずして自然を見、定理にされた地方色を顧ずして更に計算し直した色調を勝手次第に表現せん事を熱望している。
どんな気儘をしても、僕等が死ねば、跡に日本人でなければ出来ぬ作品しか残りはしないのである。
底本:「日本の名随筆7 色」作品社
1983(昭和58)年5月25日第1刷発行
1999(平成11)年2月25日第20刷発行
底本の親本:「美について」筑摩書房
1967(昭和42)年10月発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2006年11月20日作成
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